先日、夕照コンサートを聴いた・・・早くも22回目だそうな。
第1回目か2回目あたりと比較すると、会場も代わり、出演バンドもずいぶん様変わりしてきている。
初期からの夕照でおなじみの楽団でも団員数が増え、ますます向上してきている面を感じた。
龍谷大学瀬田学舎は校舎がどんどん増え、いまも新設学部のための新校舎を建設中。
龍谷大の吹奏楽部の部員も昔とは比較にならないほどレベルアップしていて、ショウとしても、単に吹奏楽の発表会にはとどまらず、聴き手を楽しませる演出を心得ていて楽しませてくれた。他府県の高校に在籍し、全国大会出場の経験を持ち、龍大に入ってくる学生が確実に増えていることも影響は大きいと思う。
「京都の龍大」なのだけれど、部活動の拠点は滋賀県の瀬田だ。滋賀は大学の数も少ないし、吹奏楽部も少ないけれど、大津近辺では、小学校から中、高へと吹奏楽はあきらかにつながっている。プロの、ちゃんとした指導者も大津や守山には多く住んでいて、レッスンに来てもらいやすいことも。
そのことに対して、龍大夕照コンサートの果たす役割と功績はとても大きいのだ。
あとは、龍大やOSBのように、全国大会へ出場するバンドを、どう育てるかが顧問や指導者の仕事であり、それをサポートするのが専門家としての使命?・・・・かな?かなっ??・・・と感じた。
龍大吹奏楽部の司会がとてもとても上手でした。
一番印象に残っているのは、もしかしたら部の方の司会者かも。・・・ほんまに司会が良かったし。
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この暑さは、温室でのガマン大会??
温室でガマン大会をしているような暑さがつづく・・・まだまだ続きそう・・??
どうせまた突然、急に寒くなるのではないだろうか?・この数年、秋物の服を着るまがなく、季節が巡っていく・・・
仕事がはかどらないのは暑さのせいにしたくなるなあ
昨日は、自作と自編曲の楽譜を某大学の吹奏楽部でデモ録音をしていただいた。
コンクールメンバーはコンクール曲を別室で練習しているから録音の方はその他メンバーなのだけれど、みんなよく演奏をする。じゃあコンクールメンバーはどんなに上手なのか?!
・・・・クラブには、たまにとびきり上手なメンバーがいるにしても、そんなにむちゃくちゃレベル差があるわけではない。
ほとんどのメンバーがほんの少しの差、たまたまその時期に選ばれなかった、多少の違いがあっただけ。
だって、プロではないのだし、みんな好きで楽器を、心でやっている人たちなのだし。
コンクールは年に1回、でもやりがいある依頼演奏や演奏会は年中、しかも頻繁にある。
だからコンクールにのらなくても4年間、充実した部活動を堪能して学生生活が過ごせる。
アマチュアとプロの大きな違い、というか音楽力の差はソルフェージュの差が大きい。
そのことを、この数年ずっと感じながら吹奏楽の人たちを見てきたけれど、やっぱり確かなことのように感じる。
この実感する事はなかなか言葉に表現しづらいところがあるのだけれど、わかったもの同士の会話なら・・
「やっぱりソルフェージュ力だよね?」「うんそうだよね!」・・・・これだけですべて通じてしまう。
これだけで説明は不要なところなんだけれどね。
そしてこれは、曲作り、演奏作り以前の部分だし、トレーニングが必要な基礎の一つ。
音楽大学では、ソルフェージュの授業は必修。音大生は常にレッスンに追われていて、宿題曲を常にさらっている。
中学、高校、大学と吹奏楽をやってきて、どんなに楽器の名手であってもソルフェージュのレッスンを受けきていないとわからないところがある。どこかで独りよがりにきづかないでいるマイワールドも別にあってかまわないけれど、
子供たちをちゃんと育てる気持ちがあるなら、もっと責任を自覚して専門家に耳を傾けてほしいと願っている。プロの管楽器奏者や打楽器奏者は、自分も部活で楽器を始めた体験を持つ人がほとんどだから、同じ楽器をやる後輩みたいに思ってくれるような、とても好意的な人は多いと思うから。
「やっぱりソルフェージュ力だよね?」「うんそうだよね!」で会話ができるアマチュアのコーチ、どれくらいいるのかな。
ひどい雨降り
Debussy雨の庭を学生時代、試験で弾いた。というよりも、弾かせていただいた、っていうかその・・多分、当時の担当教官だったピアニストの樋上先生のガマンと忍耐の支えられての出来事であったと思う。
おかげで、試験の必要性でも無ければ、一生さらうことがなかったであろう曲を体験した。
レッスンは苦労して練習して臨んだのに、弾き始めてまもなく先生はククク・・と笑いをこらえている・・・それでもまたしばらく弾き続けていたら、アッハッハッハ!と大笑いをしはじめた。
あまりにも元気よく笑っておられるので、仕方なく弾くのをやめて先生の方をみたら、・・・・まだ笑っている・・・笑いが収まるのを黙って見ていたら突然、「小杉君ねえ、あなたはDecrescendしてくところで、どうしてだんだん力が入っていくのよ?」だって。・・・・ほんとうのところは、必死で弾いていて、音を外さないようにしながらデクレシェンドかけるような音のコントロールなど私の指ではできなかったのだけれど、私には先生のその日の一言が、私にはとっては音楽の普遍的で本質的な部分に気づかされた、といえるくらいとても大きな一言になった。先生にしてみれば、ありきたりで当たり前の、面白くない副科ピアノのレッスンだったんだと思うけどね。「そうか、力が抜けていくとデクレッシェンドになるんや・・・そうか、だからあの曲もあそこでaccel.、あそこはtenutoが・・」といった具合に連鎖反応を起こしていった。もう35年くらい前の出来事だけれど、いまだに「雨の庭」で「樋上先生」なわけです。おせわになりました。
普通はお盆休みデスネ。
さりげなく、でもしっかり音楽的に
映画の中で、数名の小学生が担任の先生に歌を教えてもらって歌うシーンがあって、歌わせられることは授業だったり課外だったりするのだけれど、その歌いっぷりをよく聴いてみると、とてもピッチが良くて心地よかった。ちゃんと純正律で音をとって、とてもキレイな響きで歌えている。感心!と私がいうのも変だけれど、とても感動した。
映画のタイトルは、「北のカナリヤ」 お話としても、観てよかった、ってきっと思えるものだと思う。
観測始まって以来の新記録の暑さのなかで・・・
地元では吹奏楽コンクール・・さらにあっついし。
県大会直前の時期をむかえ、中高生に顧問は、必死に汗だくの日々が続いている。甲子園の代表も決まり、前任校が出場権獲得で、少しうれしいこと。まだ生徒たちの顔が浮かぶ。
吹奏楽コンクールも甲子園もアマチュアの祭典としてのにぎわいを持っている気がするけれど、野球の場合は、「プロになりたい」と目標を持つ部員が多いと感じる。吹奏楽の場合は、「プロ演奏家になりたい」と語る部員はとても少ないと思う。
野球は十数名でベンチ入りをするけれど、吹奏楽は30名、55名、75名?イベントによってはそれ以上のチームでエントリーする。レギュラーメンバーになる人数がこれだけ違う。楽器編成があるので、野球のチーム編成で考えると担当楽器によってはポジション取りのように少数の部員がしのぎをけずる面もあるけれど、学校という規模で考えると二クラスくらい、またはそれ以上での取り組みになるイベントであり、部活動だ。
このことを、管理職はきっちりととらえて、考え、行動してほしい。指導や運営の仕方、環境づくりは顧問任せ・・・これでは、顧問の負担が大きすぎる。
音楽は素人だからよくわからない、とか音楽の事はわからない、とかで、その先に進まない学校は多い。野球は応援しに行くくせに吹奏楽コンクールには足を運んだことのない管理職は管理職を失格しているのではないか?
ピアノを習いたい、弾けるようになりたいと、子供が言い出したら、保護者は楽器を買う事を想像し、ピアノの先生をさがす。
管楽器をやりたいと、子供が言い出したら、中学校にはいったら部活でできる、となる。
けれど学校にはピアノ教室にピアノの先生が存在するように、部活には、管楽器の専門家が顧問をやっていることは、めったにないのだから。
代表になるような力を持つ吹奏楽部には、プロの演奏家がパートのコーチで入っている。お金もかかっているけれど、顧問の采配でなんとかきわどく、成り立っている。
そのことを理解している管理職は、ほんの一握りの人たちである。
SIBELIUSに敬意を!その1
ここ数年来、人は年齢とともに変わるものだと実感している。
いや、変わるのではなくて、物事が自分自身の心情や気負いにとらわれる事無く見えるようになると言った方がいいのかもしれないな。
そのことで、感情の起伏の変化が少なくなり、様々な事を穏やかに捉えて見つめているような自分を感じている。
人はその年にならないとわからない事がとても多いと思う。
そんなことを感じながら過ごしていたら、若い時は大して興味を持つ事がなかった作曲家や作品がとても自分に語ってくれるようになった。
で、少しSIBELIUSに敬意と感じながらブログを始めてみることにした。BRAHMSなんかも若い時から変わらず好きなんだけどね。
あ、W.WALTONやM.ARNOLDも好きだよ。
あ、E.HigginsもNathan EASTも好きですよ。
あ、それから・・・・ま、いいか。